「辻が花」を現代語では小袖や胴服(どうふく)など絹物の絞・墨の描絵・摺箔・刺繍を併用した絢爛の小袖を指して言われるが、この小袖が実際に着られていた当時は“ツジガハナ”とは呼ばれていなかった。単に絞染めに黒描絵・摺箔・刺繍で加飾した高級で、特権階層の人たちが着る小袖であり胴服(胴衣から羽織が派生する)だった。辻が花とは日葡辞書にも記されているように、絞染め模様を施した麻地の帷子を指す用語であると、河上繁樹氏は『蜷川新右衛門知親元日記(にながわしんえもんちかもとにっき)』(寛正6年)、『宗五大艸紙(そうごうおおぞうし)』(大永8年)、『信長公記(しんちょうこうき』(天正9年)、『西洞院時慶日記(にしのとういんよきよしにっき)』(文禄2年)、『太閤記』(文禄2年)などの文献を検証した上で、桃山時代を中心とする時期においては、その意味が今日とは異なっていたと指摘された。