山陰地方の三大絵絣の一つ。昭和60年、広瀬町帳(現・安来市)に広瀬絣伝承の拠点「広瀬絣センター」が開館した。明治24年に絣伝習所が発足、その流れをくむ伝習所も同館に併設して、広瀬絣の藍染を含む全工程の技法を、後継者又は県内外の研修生に専門講師が指導に当たっている。
現在の広瀬絣織元は、紺屋を兼ねる天野圭氏(大正9年生れ)1軒となり、県無形文化財絣技術保持者は天野圭・永田佳子(天野氏の三女)の両氏が指定を受けている。また、広瀬絣の絵絣の表現と生産に威力を発揮する技法(絵絣用の緯糸を緯綜台<よこへだい>に張り渡したその上面に絵絣を拡大して彫った長方形の型紙を当て、墨摺りして、その綜台で緯糸を手括りする)の独創的な発想は、天野氏が考案した。