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絣が「かすり」と呼ばれ始める時代

 和装の織キモノでは“絣模様”が何時も人気を博している。また「絣」と書いて「カスリ」と読むのが業界の慣わしになっているが、江戸期から昭和前期の書物には、「飛白(ひはく)」・「纃(せい)」(絣と同意語の日本国字)・「(へい)」をもって“カスリ”の表記としたり「加須利・加寿利・鹿寿利」の当て字、平仮名の「かすり」もある。現在は「絣」の文字でほぼ統一されているが、誰がこの文字を“カスリ”の表記に使い始めたのか、その人物の特定はまだできていない。

 室町時代(西暦1392年~1573年)から刊行されだした国語辞書「節用集(せつようしゅう)は、江戸末まで随時出版しているが、“カスリ”を表記する文字がこれには見当たらない。上代染織作史家の上村六郎氏は、漢字で「絣」は“ホウ”と発音し、中国漢代の辞書『説文(せつもん)』には「西域系の人(ていじん)が特殊な糸で織る布である。」と記されているが、日本で何時頃から「絣(かすり)」として使い始めたか皆目わからないと言っておられた。

 「飛白」は筆跡のカスレる文字を書く法をいうと、唐代の『書断』に書かれているのを誰かが引用したのだろうとも話されていた。しかし、糸を揃えるを意味する国字の「纃」をカスリに当てたのはどうしてだろうか、これも謎である。

 わからないと言えば、“カスリ”の語源もまだ、特定できていない。日本における絣織物の嚆矢(こうし)は唐から持渡りの法隆寺・東大寺正倉院収蔵の『広東錦太子間道(かんとんにしきたいしかんとう)』とされるが、奈良・平安時代の朝廷支配から武家階級が政治の支配力を握る鎌倉・室町時代に絣織りが萌芽。室町期に武家がたしなむ芸能「能楽」の装束に“〆切”絣技法が現れ、やがて武家の礼服“熨斗目(のしめ)”(腰から袖下にかけて横一文字の空間に絣・縞・格子を配したもの)に昇華して、簡潔で多彩な絹絣となる。この熨斗目模様は現代織作家の貴重な意匠の宝庫として活用されている。江戸期は木綿の普及にともなう藍染め絣が津々浦々発生、一般庶民の衣生活を潤した。明治期を迎えては絣織物は愈々隆盛になる。つまり絣は朝廷・貴族の衣服とは関係なく、武家と庶民が育んできた織物といえる。

 さて、「カスリ」と呼ばれる織物の登場を室町期と仮定して、この言葉が社会の日常会話に使われていた事を示すのは、慶長8年(西暦1603年)に長崎の日本イエズス会が、キリスト教宣教師が日本で伝道するに必要な日本語を収録した『日葡辞書(にっぽじしょ)』に「カスリ」の項があり、“日本の着物に施す彩色法の一種”と解説している。

 「カスリ」の語源には絣模様の絣足(かすりあし/絣文の端)が掠れて見えるので、カスリを呼び名にしたという一般俗説。沖縄の八重山諸島などの方言「カシィリイ」が、という琉球方言説。刀剣書「古今銘盡(こきんめいじん)」(慶長16年の奥書/西暦1611年)にある刀剣の縦の擦れを“かすりやく”との注釈からの刀剣説などがある。しかし、いずれも推論で定説ではない。
 では、日本の「絣」はどこから伝播したのか、また、その数々の技法発達については、項をあらためたい。

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